法治主義など

はじめに、適当の意味

まず、私がこのブログで書いている内容は、基本、すごく適当です。よく(適当)と表示されていますよね。

ここで「適当」という言葉の意味は文字通りで、私は文章を書く際に何かを参照することはほとんどないためです。

私は思いついたことを思いついたまま書き連ねていく方式を採用していて、その意味ですごい適当なのです。

文章を書く際、検索エンジンを使うことも、資料を読むことも、本を読むこともありません。なので、その点については注意してください。

きっかけとする資料

メモ書きが毎日投稿されていくと結構ストックが切れそうになっているので、気付いた時にもう少しゆったりと投稿できたらなと考えています。

そのため、ある程度の規模の投稿を数時間かけて書いておきたいなと考えてます。

そのために必要になるのが、きっかけになる資料です。何かの答えを出すとして、そのためにはまず問題が必要となります。ここで、なにもないところから問題を考えるのはとても難しいことです。よって、きっかけとする資料を予め用意しておき、それを元に、何か書いていこうかなと思っています。

今回は、とりあえず下記リンクの「問題集」みたいなもの最初から順に見ていきたいと思います。このブログで書く順序も大体はテキストの順序尼僧形になると思われます。これを読んで適当に思ったことを書きます。

私は法律について、あまり良く知らないので、内容的にはすごく適当かつ不正確になると思われます。知らないことを知る学習の一環として、とりあえずこういうものをきっかけに何かある程度の規模で書いていけたらなと思っています。

http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~shiva/

内容的には、テキストそのままと言うものではなくて、主に説明、というか思ったことのメモみたいなものを付け加えていけたらなと思っています。

ちなみに、リンク先のテキストなどは、法学関連の本などを出されている人が書かれたもので、Webでも法律関連の分かりやすい情報を提供してくださっています。すばらしい。このような分野においては、こういった形である程度まとまった膨大な情報を無料公開されている方は非常に珍しく、とても貴重であると思いました。

リンク先のテキスト情報は内容も充実しており、個人的にはとてもわかりやすいものだと思います。

法律とは

まずはじめに、法律とは何でしょうか。

これは、紛争を平和的に解決するためのルールです。

例えば、法律がなければどうなるのかというと、皆自分の裁量とルールで物事にあたることになります。この場合、あちこちで紛争が起こり、その解決に暴力が用いられることもあるでしょう。そんな中では平和で安心な暮らしができません。よって、法律とは人間が平和で安全に暮らすための知恵ということもできます。

ここで、法律を作る人、法律を守らせようとする人、法律を解釈し、適当する人などがいます。例えば、法律を作るのは立法、法律を守らせようとするのが行政、法律を解釈、適用するのが司法という国の統治機構(機関)になります。

具体的に立法は国会のことで、行政は内閣、司法は裁判所になります。

そして、日本は民主主義が採用されているため、法律を作るのは国民から選ばれた国会にいる国会議員の人達が行います。

ここで、法律を学ぶ法学については、主に法律の解釈、適用の役割を担う司法(裁判所)の視点から行うことになると思われます。

法学というのは、法の解釈学です。法律には条文というルールを書いた文章があり、その文章は様々な読み方ができる場合があります。この際、その文章を解釈する必要が出てきます。

また、それ以外のケースであっても、妥当な結論を導くために明解な文章をあえて解釈することがあります。

何故かと言うと、それは憲法の人権規定に書いてあります。法律の目的は最初に述べたように、紛争の解決です。予めルールが決められているとその解決は比較的容易だからです。しかし、紛争を解決すればそれでいいかというと、そういう訳にはいきません。

憲法には人権規定が書かれており、そこには個人の尊重(13条)や幸福追求権が保障されているからです。これは、「多くの人の幸せを目指す」ということです。よって、法律は紛争の解決という目的以上に、「多くの人の幸せを目指す」ものでなければならないと考えることができます。このことから、結論がその理念にそぐわなければ、妥当な結論を導くために条文を読み替え解釈することがあります。

このように、法律の解釈が必要なケースは様々で、その様々なケースにおいて法律を解釈する必要が出てきます。

よって、法の解釈学(法学)では、(i)どのような場面で法解釈が必要か、(ii)その解釈はどのように行うかを見ていくことになると思います(大体は)。

法の支配と法治主義

よく政治家などが「国民は法の支配に則って、行動しなければならない」とか「日本は法治国家だから国民は法律を守って行動しなければならない」と言われることがあります。

しかし、法治主義、法治国家や法の支配という言葉は本来的にはそういう意味で使われる言葉ではありません。

私自身も過去の記事で「日本は法治国家なので…」(当事者主義などについて書いた記事)と説明したことがありました。ここでは、主に、法治国家や法治主義が本来的にどういう意味を持つのかを説明していきたいと思います(あくまで思ったことをそのまま書いてるだけの個人的な意見だけど)。

ではなぜ「日本は法治国家だから国民は法律を守って行動しなければならない」という言い分が間違っているのでしょう。

それは主に法治国家(法治主義)の定義が通説では国民ではなく、国家権力を対象としたものだからです。

ここで、なぜ国家権力を対象に法治主義という考え方が広まったのか、その変遷(過去の歴史的経緯)を見ていきたいと思います。

例えば、昔、ある国に国王がいたとして、その国王が作った法律で国民をコントロールするのですが、それによって国が滅ぶことがよく起こりました。

何故かと言うと、国王が法律を作って好き勝手やってしまうので、国が安定しないことが多かったからです。

そのようなことがあり、考え出されたのが法治主義という考え方でした。

これは「いかに国王といえど、全ての人間は法の下にあり、その権力は制限される」という考え方でした。

よって、法治主義や法の支配という言葉は多くに「国王ですら法の下にある」という事実を明確にするためのものだと考えられます。

このことから、現代風に言うなら「政府は法(憲法)の支配に則って、行動しなければならない」となります。法治主義のような考え方が発生した歴史的な変遷を見る限りでは、その対象は決して国民ではなく、あくまで権力側(国王側)を対象にしたものだと考えられています(一般的には)。

ここで、法治主義と法の支配の違いはなんでしょう。日本では憲法論的に法治主義ではなく、法の支配を採用していると言われています。そして、法の支配のほうがより新しい考え方になります。

法の支配の具体的な要素はいくつかあります。これらは憲法に規定されており、(i)人権規定(13,98条等)、(ii)憲法の最高法規(97条等)、(iii)違憲審査制(76,81条),(iv)適正手続の保障(31条等)が挙げられます。

対する概念として法治主義があります。法の支配との違いは権力を対象とするか、行政権のみを対象とするかです。法の支配はすべての国家権力を対象にしますが、法治主義は主体が限定されています。また、法であれば内容を問わないのが法治主義であり、内容を「人権侵害は法であっても許されない」とするのが法の支配の概念です。根拠は先程に挙げました。そして、憲法の条文には法の支配の特徴が現れています。

なぜ法治主義から法の支配に発展したのかというと、法治主義を根拠に多くの人権侵害が行われたからです。これは、法治主義が適用される主体を行政権に限定したことで、それ以外の機関からなら人権侵害は可能だと捉えられてしまったのです。また、法に書いてさえあれば、どんな人権侵害も許されると解釈されてしまったことによっても、法治主義を人権侵害の抗弁に利用、悪用されてしまう危険がありました。

そんなこともあり、法の支配の概念は、対象を限定せず、かつ法律に書いてあってもできないことはあるということを明確にしたものへと発展したと考えられています。日本で採用されているのは、法治主義ではなく、どちらかというと法の支配であり、その根拠はいくつかの憲法上の条文から導かれていると考えられています(通説的には)。

めちゃくちゃ適当な内容ですが、こんな感じのことを適当に思いました。(あまりテキスト問題集読んでなかった…)

以上