物語と作者

物語と作者

物語と作者についての考え方などについてです。

物語の感想を書くとき、人々は作者を持ち出し、または絶対に持ち出さないと固く決めている人がいます。それ以外でも例えばイラストと作者人格の関係性が否定派と肯定派によって意見が大きく別れます。

Twitterなどを見ていると、自分の主張を裏付けるリツイートを各々各派が行い、この対立は激しいものを感じさせます。

例えば、作者との関係性を否定派は可愛い絵柄とバカなことをやってる作者を持ちだして、本当はこんな奴が書いているんだぞと言わんばかりです。

物語における作者の重要性はさておき、ここで、人々の心とはどういうものが傾向として多いのでしょうか。

作者を持ち出さないと決めている人達は「認めたくない」という特徴があるように感じます。こういうのはこっち(第三者)にも伝わるものです。

例えば、作者と言ってもいろいろな人がいます。アニメは複数の人が関わって作りますし、漫画だって同じです。中には殆どの作業をアシスタントがやっており、作者は何もしていないということもあるでしょう。

こういったことがあるため、とにかく認めたくないのです。こういう人達の本質の一つは、「絶対に他者を認めたくない」という気持ちが強い人が陥りやすい結論だと感じます。

いろいろな理由をつけてとにかく認めたくないのだと思います。

次に作者を持ち出す人たちの特徴です。

これは、偉い人を持ちだして自分を高めようとする見栄の一種だと私は思います。いわば権威付けですね。つまり、自分をより大きく見せようと言う特徴があるように感じますし、そういった人達にはそういった雰囲気がまとわりついています。

何かにつけて自分の意見を主張する際に、有名人ばかり持ち出してくる人は、中身は小さいけど、自分を大きく見せかけようとする人です。

現実問題としては、他者を認めたくない気持ちが強い人よりも、自分を大きく見せかけようとする人のほうが注意すべきでしょう。

これについての私の答えを述べますと、より近いのは「ネット上では自分を隠すのは不可能。意図せずしてその人の本質は現れてしまう」という考えに近いと思われます。昔、そう言っていた人がいました。

私は基本的には現実よりもネットのほうがその人の本音は見えやすくなるだろうなと考えています。

理由としては、ネットは現実的な制約を切り離すからです。人の本質が現れやすいのは、制約、制限から解き放たれた時だと私は考えています。

したがって、多少の制限を切り離す性質があるネットのほうがその人の本質が分かりやすくなるという話は頷けるものだったのです。

物語と作者の関係もこれに似ています。

物語をどういう風に組み立てるのかというのは、現実的な制約を多少解き放って、自由に行えるものです。もちろん、実際には不自由もあるでしょう。けれど、現実社会と比較した場合、物語を創造するという行為はそれよりも自由に行えるものだと考えます。

先程も言いましたが、私は人の本質が現れやすいのは、制約、制限から解き放たれた時だと考えています。

なので、その効果が多少あるだろうと予想する物語の創造には、やはり、その人の本質が現れやすいのだと思います。